やめるのではなく認めると良いかな。。。

禁煙なんて中途半端なことをやるのは本当に拷問に近いと思う。
吸いたいのを吸わないようにするのだ。
そんなのおかしい。
以前も書いたが、たばこを吸って得ようと思っている目的自体は
絶対に誰も間違っていないと思う。
「かっこいいから」
「みんながすっているから」
「大人だから」
「やめたくてもやめられないから」
「すうとおちつくから」
「ハードボイルドだから」
全部、それを駄目だとしてやめようとすると駄目だ。
それらすべて認めるべきだ。
というより、認め方が中途半端だから煙草を吸っているにすぎないのかもしれない
と思う。
吸っている本当の目的を意識できるだろうか?
私はわかった。私の目的は
「脳内モルヒネしゃわ〜〜!*1
」だった。
その目的が達せられることが煙草を吸う目的だったのだ。
それから、吸いたい気持ちがなくなったわけではないが
「吸わなくても良い。いらない」と思えるようになった。
だから、吸いたいのを無理矢理やめて、吸っていないというわけではない。

吸いたいのを無理矢理吸わない禁煙なんて上手くいくはずがない。
吸わなくて良いと思えるから、吸わないでいられるのだ。
本当にタダの選択の問題。*2

それから、たばこを止めさせるのに健康害について触れなくてもいい。と思う。
健康害について説かれると辟易としていた。
たしかに禁煙させようとして、健康害についていろいろ言うのは、正論かも知れないが、ある意味「脅し」のため、それに屈したくないという心理がはたらき反論にも合うのも事実。私もそうして反論した。というより健康害を訴える人はどちらかというと煙草を吸う人が大嫌いで、嫌みを込める。煙草を吸う人はことある毎に健康を説きおせっかいに止めるように割り込んでくる人をストーカーのように思っているはずである。(ただし、ガソリンの前では煙草を吸うな!ぐらい健康害(危険)が切迫している場合の忠告は聞く。)
ハードボイルドで吸っている人は、「健康害?そんなもの!ふっふっふっ!」と一蹴、一笑するだろう。そんな脅しめいた説得には屈しないのだ。なぜなら、それがハードボイルドだから。
しかし、ハードボイルドにたばこが必要不可欠かというと、それは、流派や派閥の違い程度で、ハードボイルドという一番大きなくくりからいえば、「必ずしも必要とはいえない」と考える。

*1:解放感、無邪気さ、なんでもありの感じ、補助輪なしの自由、パワーがわき出る感じ

*2:私の今の吸う吸わないは女の子が服をあててくれて、「ねえ、青にする?赤にする?」「でへへっ、いいの?じゃあ、赤!」「はあ〜い」ってぐらい、簡単な選択をしているだけの労力しかつかってない。青にしとけばよかったとかは全然思わない。