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家に帰りたい!
そういわれる方も結構多い。
その部分大切!とおもい。
そうですね。と答える。
家があるなしにかかわらず、そのまま家に帰る帰らないは別にして、
「家に帰りたい」
とおもっているとき
思っていることがとても、ご本人にとっては宝物なのだ。
家に帰りたいと思うのだけどご本人自身、それがなんなのかわからなくなり、さまよってしまいアクセスできなかったり・・・、
あるいはまったく家のことをあきらめて、思うこと自体を我慢してたりするなあと感じる人がいたり・・・、いろいろなのだけど、結局
なんか迷子ってことなのだ。
そんなのは誰にでも言えるのかもしれないが。。。

でも、どちらにしても、
帰れない人も帰ろうとするってこと。
我慢している人も本音は帰りたいってことだ。
どこだかなぜ帰るのかさえ忘れてしまったけど
わからなくても自分の家に居るべきところに帰ろう!とするところがあるってことだ。

帰るという言葉に惑わされるかもしれないのだけど、
そこにはなにがあるのか?
質問されていくと明確に答えられる人とあやふやになる人がいる。
(近くの人に聞いてみればいい。ある人は怒り出す。)

でも、聞いてみて、具体的になるならないは別にして。
それにふれられるふれられない別にして
たしかにだれにでも
「かえろう!」と突き動かされる何かを自分の中に持っているってのを
認められるのは安心できる。そして、
“それ”が認められないと思っているから我慢するのだ。
(がまんしてても、それは認識している。だから、我慢できる。)

主婦をやっていた方が夕方になると落ち着かなくなるというのは
有名なことである。でも、それを
ただの習慣とかたづけてしまうのが傲慢におもえるほど、
帰るのに、帰る場所について、みんな必死なのだ。
あるいはとても自然なことなのだけど、
今の社会では時と場合を考えなければそれはアウトなのだ。

帰りたい気持ちをいつでも何とか出来る社会がイメージできるか?
っていったときに“拘束”“隔離”がみえてきて、それがとても寂しく思えるなら
あるいはそれ以外にどうしたらいいかわからなくて、寂しくなったり
あるいは、あきらめてしまったり、
めんどくさくなるのだったら、まだ、見込みはある。
正常である。
そういう人は、居たいところに居られるってことがいいと
思っているからだ。
まずは、自分の“それ”を大切に、ってところから始めたいよね。