親離れ

チビ1号はすでに泊まりのキャンプに一人でいけるようになった。机の中の整理整頓に父親が口を挟むと「おとうさん、もう自分でやるから、寝てて」という。
チビ2号は、一番手に負えない時期だ。まだ、親と自分との世界の区別はない。

[家族日記風]いろいろ思うところ

7月というけどこちらはすごく過ごしやすい。梅雨明けは8月にずれ込み夜はエアコンはいらないぐらい。それで、保護者Aとチビ2号とで、夜8時頃、焼き肉大将軍というところに行った帰り、外が気持ちいいので、電車通りを散歩した。(チビ1号はキャンプ中)。散歩しながら、思った。
今年の1月はじめにこちら富山に来る用事があり、チビ2号と保護者Aと、同じように3人で町中を散歩した時があった。
その時は、時期も時期だけど、すごく寒くって、見渡す限り何にもわからないものだらけの土地で、なれ染めなくて、すべてがとても冷たく、空気や町並み、全部、自分とは無縁にしか思えなかったのが、3月に引っ越し暮らしはじめ、4ヶ月後の7月には、すっかり、こちらの空気や町並みや時間のすすみ具合まで、体が馴染んでしまっていることに驚く。
でも、ふっと、保護者Aが隣で言う。
刈谷で骨を埋める気でいたのが、富山にいるよ!
それは、俺も同じだ。
というより、今のところ、結局、自分が決めてきただけなのだけど。
そして、あああ、なんでこんな風に決めたんだろう?って実は思っていたりした。
実は。。。

自分で先の事を決めてしまっても、その通りにはならない事もあることについて、それなりの覚悟は必要だとはおもう。これ、別に悲観しているわけではない。
すべては正しいときに正しい時期に起こる。そんな風なアメリカインディアンの教えもあったっけかな?そんな風に思っている。

自分は、刈谷にいるということで、人生の目的、課題を達する。というこだわりをとりあえず自分は持たなかった。持てなかったのかな。とりあえず、今までの生活を続けていくというこだわりは捨てないといけないかなと思った。
だから、地元が嫌いなわけではない。その真逆なのだ。
刈谷は空気もまずいし、これといって自然が豊かでもなく、都会でもなく・・・、でも、いろんな地域から人が流れ込んできながらも、よそ者を受け入れるという土壌ができているのでそういう人との距離感が自分は昔から好きであるし、故郷であるという気がしているので、今後もそれはかわりないし、また、平野特有の穏やかな空や、平原特有の雲とともに風が作り出す音やそれを含む空気はとても好きだし、特に雷の時などの前後など未だにわくわくする。そして、自分はその大気と同調する。それぐらい、大好きだし、それはこれからも自分のよりどころの一つであるし、変わることはない。

すべては正しいときに正しく起こる。
受容あきらめではない。
そこに新しい気づきがあるからこそ、受け入れるのだ。
それを思う。それが養われたのは刈谷という土地柄だったからだとおもう。

そうやって、そいう気づきをもって、これからもあっしは生きていくのだ。

これは、昨年末から今までは怒濤のごとく時が過ぎてしまって言葉にならず説明できなかったことの一つ。そんな感じだ。