*[ヒト]私はダラになってしまった・・・
「私は、ダラ(富山弁で、馬鹿)になってしまった」というおばあさんがいる。
医者からも認知症といわれているし、見た目も、そうかもしれない。
でも、自分で、自分のことを馬鹿になってしまったと、そういうのだ。
馬鹿になってしまった。と、自分が思うと言うことは、それなりの価値から
自分の事を判断して、自分で自分を評価しているということだ。
その方の、精神はきっと、昔のままだろうと思う。
老いるということを実感しているというだけの話なのだ。

…老いる…という実感。。。
自分の能力が若い頃と“比べて”、劣っていくと自分で“認識”して、それについて“感情”なり、“感想”なりを認知することで、実感することかもしれない。
なぜなら、若い頃は、老いなど無縁なのだ。
今、老いている人たちは、高度成長期を支えてきた人たちだ。
彼らの老いは、深刻だ。若い頃のように振る舞えないことに、すごく、劣等感を感じ、また、能力が衰えるた自分に対して、すごく、恐怖を感じている・・・・
生きていく価値を見いだせず、若さに縛りつこうとしたり、あるいは、自分の価値を社会生活に対して見出そうとしている。それをささえる心理には、他人の評価に敏感に反応していることがみてとれる。
社会生活との関わり=社会に対して役立つ自分を表現できること。自分でいられること。
そうした価値観の功罪を思う。

いつでも、今が大切に思えたら、それが一番だと思う。
それがかなわない社会はどうかと思う。今日この頃だ。
いくつになっても、自分を認める。そういうじぶんでいられる価値観をもっているか?
そうやって、いきているか?