今年の10大ニュースを考えるための下書き

う〜ん。考えようと思うが、もう、一つのテーマで1年が過ぎた気もするし、
また、あれやこれやと、思い出すと、とても空しくなってくる部分もあるなあ。
基本的に日々のことで精一杯で、それでも、あれもやりたい!これもやりたい!
と思いつつ、出来てないことも沢山ある。っていうのは、去年も一昨年も同じところ、空しくもあるなあ。
また、
ず〜っとやり残していて気になりながら過ごしていながら、
毎日いろいろあり、いろいろな気持ちになることもあり、
つい、忘れてしまう時もあるのも焦りとなっていたりもした。

やはり、もっとも考えていたのは、
原点というか、やり残している部分、たぶん、一番肝心な部分で生きるという
ことに己をシフトすることへの躊躇があった気もする。
というか、まだ、分からない部分もある。そのことについてであった。

躊躇とは、自分にある本質について
ただ、なんとなく、夜中の発電所からかすかに聞こえるモーター音のように
いつも聞こえているようなモノにも感じたりするからか。。。

などとおもっていたが、そんな自己分析をする性癖もふくめ、どうも、そこからようやく俯瞰できる
位置に己を置き直すことができたなあなどと結構年末の佳境にきて感じている。のも事実である。

これは、ポジティブに思い込もうとするなんちゃって精神ではなく、
己への無評価の期待であって、それは、今までに感じたことのない自己感覚であるから
きっとこれからはそちらに商店、いや、焦点を当てていくだろうと思う。
あるがままということか。
・・・う〜ん、かなり独り言だ。自分しか、わからんじゃん。っちゅうか自分でもわからん!

・・・まあいいか!

それでも、思うのは、何らかの価値観を持って生きるにしても、
それは、自分の視野の狭さを受け入れた上でと思いたい。
起こり得ることについて、自分が考えられない部分もあるのだと
いう価値観をもっていたいものだと思う。