とりあえず

7月から300円になるのを機に節約で、たばこはやめ〜っと、考えていたが、
今のところ 二晩、吸ってない(30日のたばこは1日日中にすっていた)。いつまで続くかわからんが。
でも、このやめ方は俺にかぎったことかもしれないが、まあまあ、知らないうちに
たばこを忘れているって感じになるのでなんとかなる。

前々から、禁煙=たばこを吸いたいけど、がまんする
って感じで嫌だった。

とりあえず、たばこを吸いたい自分に取引をもちかけた。

「たばこやめるかわりにほしいものは?」

あっけなく、答えをくれた。以前の妄想である程度整理が出来ていたのかも知れない。

「子どもの頃禁止していた妄想やアイデアなど、そういうたわいもないことを遠慮なく考えたり、行動することを許すこと」
「子どもの頃禁止されて卑下された"行い"を認め、その存在とともに過ごす時間とすること」
*1

なんともわかりにくい感覚だが、"おまえが幽閉している捕虜を解放しろ"という感じだ。
この解放すべきモノ、頭ではわかっていても、はたして、普段そうできているか?といわれると結構そうでもなかったりする代物だ。
いわれてみてなるほどなあ〜だ。

それで、とりあえず、吸いたくなったら、気をつけて意識するようにしている。
何考えるって訳でもないが、とりあえず、そういう時間にしているが
そうすると確かに、今のところ、調子よい。

まあ、あんまり止める気もないので3日坊主だろうが、
吸いたくなったとき、「おい、また、拘束しただろう?はやく解放しろ!」
といわれているようで、これはこれでおもろい。

7月3日 喫煙本数:0本

*1:例えば、"何かを得るためには、何かを犠牲にしなければならない"といった価値観で二者択一の選択を大なり小なり経験している。その際選択しなかった方について、あまりに名残惜しく、それを無かったことにしてしまうため、それを求めた己に駄目だしをしたり、封印したりするってことを無意識にやっていたりする。"何か"であるために、自分の中にある何かを削ったりして、何かであろうとする性癖がある。これは、一本の木として生まれてきただけである木が、人に役立つために、あるいは、"何か"であるために、身を削って、形をかえ、何かであろうとする感じに似ている。もともとある自分について、評価をせず、わざわざ何かであろうとしない。あるものはある。ということでいなさい!という感じかな。吸いたいというのも、吸わないととても健康的!とか思うことも両方否定しない。