本日Fによったとき

時間指定の配達で時間が中途半端に空いてしまったのでFによったら、F氏とS氏がいて楽しかった。話の途中など両氏が、子どもをさけるよにたばこを吸いに遠くにいってしまうのをみて、なんとなく、さみしくも、もどかしくもなった*1

今のところ吸っていないが、実は、ホ〜プ150円というのとか、おお!っと嬉しくなったりする。たばこは、嫌いじゃないのだ。
かとおもえば、
「じゃあ、すおうか?」と言い聞かせると、あきらかに「いや、なんか不味いだろうし、いいや。」という思いがあって吸う気がしない。
そういうもじもじした感じになる。
特に禁煙などしていない。吸いたければ吸えばいい。吸いたくなければ吸わなければいい。ぐらいで、まもなく一ヶ月か。
7月の最初に1本と1週間ぐらいして1本吸ったな。
禁断症状はない。これは、意志の強さでも何でもない。タダ単に、吸いたい本心と吸いたくない本心、両方を大切にしているに過ぎない。
吸いたくなる気持ちとの戦いなどしない。吸いたい理由には、それなりの正当な理由があるはずで、それを見極めずして、「吸いたくなる気持ち」を辺にごまかしたりしない方がいい。とくに、吸うことで、ある状況になろうとすることがほとんどで、その多くは、前向きなものである。

たばこは"きっかけ"のようなものである。その状況を満たすのにたばこが必要かどうか?ということについて、丁寧に考えることで、それはわかる。そして、それがわかると、まるで、あはっ!体験のように、
なんだかスッキリする。そうすると、とりあえず、たばこすわなくていいや!と思えたりすることもある。(強調しておくが、たばこが嫌いなわけではない。)。

*1:二人がいってしまうのがさみしいのではなく、今までだったら、自分もそこまで吸いにいったりしようとおもえばできたが、今はすってないからいけない。でも、吸う気がないから、いかなくてもいいじゃん。でも、いってもいいじゃん。とかいろいろ、もじもじする。