ん〜〜

最近、やらなければならないのだけど、やる気がしない。というか、どうしたらいいのかわからないことが多い。
これは、うつか?いや、うつっていえるぐらいだがら、さぼりか?
現実的な突破口がみえないと辛いねえ〜

金ほしい〜!借金全部早くかえした〜ぁ〜い!


と、思った。

精神的重荷なく、過ごしたいのだが、現実、すぐにはこの問題は解決しそうもないと思うと
毎日の過ごし方からもっとケアしないと、そろそろ俺もつぶれそうだ。


誰か助けてくれ〜!

とだれかに相談したいが、、、心が頑固なのか、多くのアドバイスもピンとこなかったり、アドバイス自体が恐かったりだ。

そんな感じだ。これをコアトラすると。・・・つづく

往生際が悪いというか、覚悟なき生き方ができていないのがつまらないというか、常に平常心でいられるとおもいながら生活しているつもりが、現実に直面して、ものすごく、臆病だったり、動揺したりすることが、とても嫌で、何とかしたいと思っている。
悪い方向に足をつっこんでいる。わかっていながら、それ以外の選択肢がないとき、ものすごく憂鬱になる。悪い状況が、しばらくつづくことがわかっているとき、どうやって過ごせばいいのかわからなくなるのだ。
これを何とかしたいと思っている。(課題)

・・・つづく

すこし話がそれるが、そもそも、こうしたことを考えるようになったきっかけは、今から、5年ほど前にさかのぼる。
大病後、元気に過ごせることに感謝しやっていたが、5年ほど前のある晩、発病時と同じ出来事が起こった。
症状も同じ。しかし、幸い、再発ではなかったのでよかった。
しかし、ショックだったのは、自分自身がこの出来事にかなり動揺したことだ。
こうしたことは、もうすっかり乗り越えられているとかんがえていた。つまり、たとえ再発しても冷静にやっていける!と思っていただけに、ショックだった。

なさけない!とおもったものだ。


つづく・・・

また話、それるが、
「そんなこといってないで、元気出せよ!」
でなんとかいけるときはいいが、どうにもいけないときもある。

溺れている人に、「おぼれるな!」といってるような感じに思えるのだそうだ。
わかりやすい例えだ。

そういうときには、それなりの対処が必要と言うことだろう。

つづく・・・

自分の"醜さ"の本質をよく理解し、認めて、本当のところを知って、一緒に生きられますように!と思う。

何かになろうとして、勘違いも多くなる部分もあるようだ。

何かを信じ、何かが、無く、それを得るためというのは、疲れた。

何であるか体験し知っていて、そのために生きたいのが本心だ。

と思ふ。

プロバスケでは、この生活ができなくなるかも!という危機感がチームを強くするそうだが、
そういう生き方は、もういいや!っておもう。
っていうか、俺には出来ない。
(それが、やるきない!ってことだといわれそうだが。)

こんなこといっちゃいけないとか、おもっちゃいけないってことなどもやっぱり大事だな。
そういうこと叫ぶことで、自分が納得して望んでることがわかることが多い。
納得ってところがみそだ。腑に落ちるのだ。
それは自分の本来のようでもある。