パラダイムシフト

パラダイムシフトという用語がはてなでワードリンクあれば、くわしくわかりやすく解説が読めると思うが、まこちゃんのブログのパラダイムで思ったのだけど、パラダイムの大転換って、機は熟した!ってかんじ、脱皮みたいなもので必要だよね。あるいは、成長に合わせて、服を着直すみたいな感じ。自分の中で、それがおこっちゃうと、誰がなんと言おうと、うそつけない。太陽が地球の周りを回ってるんだよ。って思え、そうであると認めろ。といわれるのと同じ。そんな嘘はつけない。

パラダイムシフトがおこる前には、その大小にかかわらず、問題点の検証が行われるそうだ。そうして、それでもどうにもにっちもさっちもいかないということがわかってしまう。それで「根本的にまちがってんじゃないのか?考え方が?」ってところに目が向き、今まで「奇人」「変人」扱いされてたアイデア、考え、方法などが、注目され、それが都合良ければ支持され、広く一般化されていく・・・・。そういう過程をたどるそうだ。

俺の中では、最近のパラダイムシフトは、前も書いたが、肥料をあげなくても野菜は育つ。ということ。野菜作りにおける、動物性肥料を与えることの間違いを有史以来ずっとしているけど、それが間違いというのが、結構ガツンときたね。その通り!と思った。

日本の中でみんながパラダイムシフトおこすとしたら、それは、結構いいものであってほしいな。

一番起きて欲しいパラダイムシフトは、自分の宝物と誰でもアクセスする方法を知っているっていうのがいいな。なんかすごい。今の常識で、何かをわざわざ追い求めたり、かきたてられるのが普通みたいなのが、非常識みたいになるといいな。「おいおい、そんなにかきたてられて、おかしいぞ。ちょっと、病院いっておいで!」「おいおい、そんなにお金いらないよ!ほれ、物々交換リスト!やるよ!」とか、「おいおい!まだ、犯罪してるの?そんな必要ないジャン!」って、初対面の人からいわれちゃうぐらい常識になるとたのしすぎる。いわゆるみんな無意識まで完璧に自分のコントロール化におかれており、社会の大衆が頭脳明晰状態。自分の持って生まれた不思議な宝物とアクセスできないで生活していることが無責任、非常識となる社会。

これは、書いてて十分おかしく思える。そんな風になるわけないとおもえる。でも、そういう風におかしいと思っていることが常識になるんだよね。今までいくらでもおきており、常識になってきてるんだよね。そんな風になるといいな。

誰もが実はとてもすごい!だれでも実は心配事がなくせちゃうっていうこととか。平和なんだ!国なんて要らないじゃん!ということに気づかれるとやばいのは、いつでも「"理由が大切"な国やその巨大関連企業」なんだけどね。
ニートといわれてる人がきっと大きな鍵をにぎっているとおもえるのだ。
ニートという概念こそ、とてもわかりやすい、今のパラダイムを象徴しているようにも思える。それはやはり、今の社会のレッテルにすぎない。