正月から仕事が入ってありがたく仕事させてもらった。
すぐに2月の末はきそうであるが、クリアにすべき課題がたくさんあり
まだ、道筋が出来ていない。話し合うべき人と話し合うのがいいのだろうが
だれが話し合うべき人なのかわからないのでそのままになっている。
まあいいや。

そうそう、脳細胞が通常より萎縮してしまっても認知症にならない人がいるらしい
共通するのは、継続して何かに取り組んでいる人、ダンスとか、歌とか、ランニングとか。。。(先達ての2夜連続NHKスペシャル
というか、認知症にならないのは、少年少女のココロを持ったままの人だろうと思う。

今は、社会が実力社会という名目で人を使い捨てできる。
力によって価値が決まっている。
技術力、体力、能力、脳力、それがあるときに稼いでいる。
そうやって、働ける人同士がなんとか生きていけるようにしていくのだ。
そのため、社会で求められる価値をもっている人以外は
理解できないでいる人のが多いのだ。
(それはそれでしょうがないところもある。
どうしたらいいのかわからなかったのだから。
そのシステムや恩恵を否定するわけでもない。
そうではないが、
力がない=不要
という思考は、今一度考え直すべきでないか?
ということ。)

わたしもそうだ。
社会に出たら、生活が待っていて、
なんとか生きているという感じだと
社会が悪いとか制度が悪いとかどこかに
対立要素をたてて思考する。
これはある意味楽であるけど、結局行き詰まる。
それがわかるようになってくると、思考をとめてきた。
下手の考え休むに似たりってかんじだ。
「ああだこうだいってないで、生きてけばいいんだよ」
でも、そうやって、迷惑をかけてしまったし、
何もしないまま生きてしまったことにも不安がある。
何にも伝えられなくなるし、つたえあえなくなるような気がするのだ。
どうどうめぐりをくりかえし、
あるとき
自分の中の誰かが言った。

「いやちがうな!」

なんだかんだいったって
自分の大切な「少年のココロ」をわすれたくないだけなのだ。
そうやってでも生きられるさ!それを証明したいのだ。
それをしてないからブツブツいいたくなるのだ。

「やっちゃえばいいじゃん!やっちゃえやっちゃえ!」

新年の抱負とする。いつだって夢を持つのさ。

で、「少年のココロ」ってなんだ?

ん〜〜、そんな感じのものだな。

少年のココロを持った人とならいつでも楽しめる。
それを実は実感しているのだ。年を食ってもそれは変わらない。
それが安心できる人間関係だと思う。

。。。で、「少年のココロ」って?

さあ。。。わからんのか?

そういわれると、、、、わからんではないけど、、、

そう、わからんではないけど、答えるとなると、難しい。
自分の目で自分の目をみられないような。
自分のしっぽをおいかけるような。
でもあるのはわかるかんじ。
そんなかんじかな。