囲碁と前頭前野

昨日のニュースで、囲碁と脳の働きの実験を紹介していた。前頭前野は、人と対局するときはよく働くが、パソコンと対局するときはあまり働かないそうだ。両者に差が出たのは対局中、生身の相手の様子を感じ取りながら駆け引きしているからではないかといったことを言っていた。
そういえば、手書きの手紙も前頭前野つかわれるがメールのときはあまり使われない。ということを聞いたこともある。へえと思ったが、後から考えるとメールでもいろいろある、相手に気遣って書くメール、苦情やおしかりなどフォローするメールなどなどは前頭前野つかわれてないのかなあとか思う。メールとかハイテクってだめね、今から昭和30年代のようにアナログで!というのも極端から極端へ移行するようで結局危ない気がするね。前頭前野神話みたいな。。。いいかげんに思うわけではないが、それだけじゃない気もする。
 そういえばお客さんと話していて特に年輩の方は、「今はなんかおかしい」ということをよく話す。仕事柄「わしがくたばったときも頼むよ」「いやいやまだまだ!」という話になり、"今の年輩の人のが強い、自分らが年をとったときにはもっと足腰弱い人が増えてるはず。"って話になり、"戦国時代の鎧兜はホントに重かった。昔の人は強靱だった"という話になり、"便利になって平和になって良かったけど努力しなくなってひ弱になってる"とお決まりの話になり、「今はなんかおかしい。パソコンなどできないし理解もできないから何ともいえんし、やっかみと思うかも知れないけど」と話がうまく若者に伝わらないことをちょっと寂しく思っている。「何でもあたりまえとおもっちゃうとあかんのでしょうかね」と聞くと、「そうだね。そういうことだね」と答える。そこの部分でなら、話し合えると思った。