さようなら30代

今日でおわかれね。激動の30代でした。それはそれでよしとする。


 −総括−

偏見、思いこみ、勘違い、多々あるが、分類しようとする意志、それら全て、より多くを知りたいがために取っている手段である。混沌、雑多、煩雑、複雑と言われようと、個々人にそれぞれに身勝手であろうと基準は必要だろうとおもう。それは認められるべきである。
その人が、ものごとを認知するには、仮想的にも基準点は必要なのだ。生きる権利でもあり、己を認めることでもあり、地に足をつけて世界をみることにもなる。
しかし、それは、やはり、あくまで、生きてきて便宜的に手に入れてきた仮想の基準(認識)が沢山であって、絶対の基準と思い込まないことが大切と改めて思う30代最後である。

決めつけるならその理由。決めつけないならその理由を理解したい。どちらも結局、同じ目的をもつ。

かんたんにいえば、これからも謙虚であろう!ということでしょうか。チョット違うがまあいいや。

それから、守護霊とかいてくれた方が面白いと思うんだけど、ほんとかどうかは別にして、信じる信じないは、別にしても、過去の先祖にたいして思いを馳せるのは大事と思うようになった。
きっと、とんでもない、失敗や、とんでもない修羅場や、とんでもないことってきっと自分などよりはるかに沢山経験している。そのたびに、人間らしく、はらはらし、ドキドキし、あちゃ〜〜、と思い、まあ、そうやって、人間らしく生きて、死んで、そして、今、生きてるモンに、「そんなの気にすんなよ!」と見守ってくれてるとしたら、そんなに、ありがたいことはないとおもったりもする。ほんと、ありがたい。力になっています。ありがとう!ご先祖様。ってかんじかな。

結局、思いを馳せることで、誰でも同じ様な経験、思いや、気持ち、みんな同じようにしてきてるんだよって気づくところが、肝心!って感じになるね。