複合機器か専門機器か、それとも、気合いか?

年を食ってきて、あれこれやることが増えると、今まで仕事だけして、いろいろ頼まれても「ぼくできません!」って、専門機器のような生き方、働き方でよかったのが、今流行の複合機のような働きをしないといけないことが多い。仕事をしながら、オムツの心配をしたり、お迎えの時間に合わせて、時間をやりくりしたり、嫁と姑の話を聞いたり、など、ドクシン時代は考えなくて良かったことを沢山考慮しないといけない感じになる。まあ、それはそういうものとして、専門機器から複合機器にヘンシン!すればいいのだけど、やはり、専門機器としての働きを世間では男は求められるところがある。複合機としてがんばってることを評価して貰えるのだけど、それではオマンマ食っていけないって事もある。世の中、より専門性やオリジナリティが求められている。この辺とても、ストレスで、未だに、良い感じの答えがでない*1
保護者Aに相談したら「私は昔から、複合機だから、そのへんがなんでできないのか、わからない」そうだ。
そう、器用な人は器用なのだ。
「勉強した?」「してない」っていってほんとにしてなくても出来てしまう人はいるのだ。
保護者Aはそのタイプ。おれは全然正反対のタイプ。やらないとまずできない。なにをやるにも人より時間がかかった。
それは新しいことをやろうとするときは、いまでも性癖みたいについてまわっている。
まあ、人間だから機械とは違って、複合機として生きても、いざというとき気合いで専門機器になれるからそれでいいのだけどね。
スペシャ複合機になる必要があるって事か。。。

 そうそう、昔から気合いでなんとかするというのは、結構好きだったのだけど、最近、気合いでなんとかするというのは、結構、秘密兵器っぽくて、思いもよらずできてしまったり、便利だったりするが、いつもいつも気合いでなんとかするのは、いかんのじゃないか?使い過ぎは駄目なんじゃないか?とおもうようになってきた。
なぜなら、地球で戦うウルトラマンや、ピカチューが、ある程度、がんばりすぎたり、秘密兵器ばっかり使うと、疲れ切ってしまうのと同じく、常に全力でいるのは無理だ*2。ここぞというところで秘密兵器はつかうものだ。気合いも同じような気がする。いざというときに取っておかないと、ココイチバン大事!ってところで、気合いが使い果たされていて、踏ん張りが効かなかったり、乗り切れなかったりするのは、あかん。普段は、気合いに頼らず、ココイチバンで使えるように、毎日の生活にも工夫が大事だと思うようになった。
でも、あんまり工夫しすぎると、筋肉や体力つかわなくなったりするから駄目だな。

この辺のバランスは、もうすこし、追求していきたい。
この辺の事情について、ご意見有る方、おすすめ有る方、ぜひ、教えてください。

*1:その時その時、その場その場で、とても臨機応変さが求められる。つまり、俺は、臨機応変じゃないってことさ!えへへ。。

*2:無理どころか危険かも知れない。気合いってすごい!気合いって便利だなあ〜、なんでもできちゃんじゃん!とかいって使い続けると、手痛いしっぺ返しがありそうな気がする。