ん〜〜 その2? 〜いろいろ聞こえてくる声の本意を整理、理解するという努力編〜

何かしようとすると、「そんなのできっこないよ!」とすぐに思いを消してしまう自分を"深く"理解する。

やっても希望を持つな!→うぬぼれるな。 覚悟してかかれ!うわつくな!

やっても駄目だったじゃないか。
 →そこからなにを学んだのか?はっきり納得してないじゃないか!

おまえはいままで何にもしてないから今さら無理だ。しゃしゃり出るな!

他にがんばってる人が居る。
おまえがうまくいくなんて世の中それこそ公平じゃないよ!

いまからやりだして間に合うのか?
今やることはそれじゃないんじゃないか?
そんなことしてていいのか?

そんな自分を納得させるために、やはり、自分でやって、彼らを納得させなければ
なりません。そういう自分はいるはずです。
それまではひたすら、行動です。また、交渉も必要です。

彼らを納得させられる自分でいるのは一つの尺度、バロメーターのようだ。
彼らは彼らなりに私のためにいろいろ言ってくれるのだ。言い方は下手だけど、彼らが望むのは
やはり、"強く存在する"って実感だ。また、そういう状態をのぞんでいる。安心でいたいのだ。

これらの声は、実は、自分で自分に限界をもうけているわけではないと思った。
強く存在したいのは、自分もおなじだ。


結果を残そうとするじぶんについて

 手に入れることで得られるものがある。また、今現在そうであれば、安心でもある。

そういう状態はとても心地よい。心配事より安心。保証はほしい。と思う。

 安心保証があることで、優しい気持ちにもなれます。自由も感じられます。他にゆとりも出来る。しなやかさも
 手に入れられるようだ。何よりそんな感じを望んでいる。

 そう、"いつでも"強く自分が存在するって実感が欲しいから、結果を残そうとがんばったり、やろうとしたりするのはある。

 もちろん、いつでも強く自分が存在するって実感はありのままでいいっていう実感でもある、自分の中で。
それでいながら、結果ばかり求めるのはどこかで自分がありのままでよいと感じられ
なくなってしまったからだ・・・と考えるのは、妥当だと思った。

いつのまにか"ありのままではだめだ!"と"思う"経験をしたってこともあるかな。。。

あと、手に入れるために努力するってことも、実感を得たいからというのも理解できる。
サウナに入り、がまんして、ふ〜〜っってなるのと似ている。


(全文下書き、修正、追加、予定)