夢で、マングローブ 枯れ葉剤 ベトナム戦争

夢で、ベトナム戦争のことをとても小さいこどもたち(むちゃくちゃたくさん)が、
「こんなに森を枯らして、どうするの?どうしたかったの?」
とぽつりぽつりとそんな感じで訴えてくる。
やれやれという感じ、絶望感。そういうので満たされはじめるが、
そんな中、一人、やさしく笑う子がいた。
「気づいたよ。気づいたよ」といって笑っている。

そちらにひっぱられるように、おこされると、
どうも、夢の笑う主はチビ1号だったようだ。
お父さんなんか夢見てたな!みたいに「ふふふ!」と笑っていた。

しかし、たしかに、「枯れ葉剤」で検索をかけるだけで、わかることが沢山ある。
とんでもないことがおこっている。

そういえば、教祖が死刑になったが、このことを考えたら
アメリカが戦争をおっぱじめるとき、国民の多くが思考停止していたといわれてる意味がすこし理解できた。
たしかに、そういわれれば、そうだ。もし、教祖があの村のどこかに隠れていて、
ずっとつかまらないので業を煮やし、村ごと空爆していたら、あるいは、
あのサティアンごとやってしまったら、「とんでもないことだ!」「犯罪行為だ!」
と、すぐにぼろかすいわれただろう。また、そう思う人がほどんどだろう。
でも、アメリカではそんなこというのは非国民扱いで、
戦争について、全然悪気もなく、そんなモノを言える雰囲気でもなかったそうだ。
頭を使って当然の権利として、戦争している雰囲気さえ感じた。
でも、やっぱり頭は停止していたんだろうね。

いつでも楽しみを中心に据えることに異議がなくなった。どんなときもそれがやはり支えでよさそうだ。
手放さなければならない!と思うのが辛かったのだ。ああ〜、勘違い。
また、結局何も出来ないというベースで考えるとかなり人間はしんどい。
また、言葉の定義、印象、思いこみと実際のギャップがあるため、思考の失敗が多いようだ。
大変である。考えるより、その場で合わせて仕事していく方が適切だ。

そういえば、運転中、やたらでかい緑が飛び込んでくることがある。
でも、そんなに大きな植物のいる空間や大きな木は多くない。
なんて考えると
身のまわりに草花がすくないのは不自然か。
というか、人間は、自分らを支えてくれる命に囲まれて生きていたが
それを普段から感じられなくなるのが、不自然なのかなとおもった。

でも、やたら、緑が多いと蚊がいていやだし、
ゲジゲジとか、刺す奴はいやだし。っていうところで
自然を無くしたくなる気持ちもよくわかる。

+

夢その2(夢か、真か、うつつであり、意味不明箇所あり)

大学時代の自分が後ろ姿で立っている。何か言いたげだ。
とても、いきっていて、でも、その声は空しく自分のまわりに響いた後、消えてしまう。
大学時代の自分はとてもやっかいで、どうしようもなく、というか
いいかげんにジプロックされてて効き目無く、そのうちくさって放置されつつ冷蔵庫にある年代物
野菜のように今も、そのまま、自分の中にあるようだ。
たぶん、大学時代の自分を今の自分は厄介者だとおもっていたのだ。

 非生産的で、遊んでばかりで、なにもせず、役に立たず、大志もなく・・・・

いわゆる負の遺産のようであった。

そういう時期が多かれ少なかれ誰にでもあるということを理解するまでこれは苦しいことであった。

まじめなのだ。どうしたらいいのかわらないのだ。

燃え尽き症候群である。
大学に入るまでがゴールとおもっていた。
何もする気がなくなったというか、意味が感じられなくなったのだ。

また、これは放っておくべきではない。
我々は、ただ、「燃え尽き症候群」といわれてお払い箱であった。

何とかがんばるが、どこかで、無理をしていた。
目標を定めて、それに向かって取り組んで。。。。それがどうしたというのだ?

とおもうようになり、なにもするきがなくなるのだ。

努力して、得られたモノは何もない。
それに、そこでおわらないのだ。生きるのが辛くなる。

これは、とてもバカらしく思えるかも知れないが、それがホントなのだ。

勝ち組、負け組、格差拡大とかいうが、わかる気がする。
気づいてるか気づいてないか?

物まねしていっぱいいっぱいで、いきているか?
自分で生きているか?

の違いで、全然受け取れる感覚が違うのだ。
「どうして、1タス1がわからないの?」ぐらい、「どうして、そうなっちゃうの?」と
思えることがおおいかもしれない。でも、それが、わからないときにはわからないのだ。
そういうときもあるのだ。

そして、それをわきに追いやって生活するのは、本当に大変なのだ。
何にも頼るものがなくなる気がしてしまうのだ。不安で一杯なのだ。

正直さは大切だと思う。
できれば、どんどん正直になり、どんどん本音でいられるようにしたほうが
きっとパワーは蘇る。
負の部分にも感謝して、見直す時期かな?と思った。

また、そういう自分を責めても何になるかといえば何にもなっていないのだけど
あいからわず責める自分というのも救ってあげる必要があるのだ。
そうやって自分を見直してみなさいと言われた気がした。





これら、すべて以上、朝の一瞬の出来事のまとめ。