"イジメ"について

"イジメ"はとても卑怯でいけないことだと言い聞かせる。
というのが一般的な正しい対処法らしい。
しかし、そういわれているが、かなり前から、それでは"イジメ"はなくならないことも多々あることもわかっている。
とても卑怯でいけないことだと言い聞かせても、実際「イジメはいけないことだ!」と言っている大人のいないところでずっと行われている。
それは、なぜなのか?
"イジメ"はいけないことだと周りから言われながらも、隠れてでも、"イジメ"をするというのは、いったい、どんな精神状態だろうか?
ひとつ
言えそうなのは、
いじめなどしなくても、またしない方が、楽しく生きていける。にもかかわらず、いじめをするというのは、とりあえず、自身の行動の選択権を放棄した状態にいるということか・・・。

自分が、物事を「選択できる立場にある」というのを理解できていない。それどころか、知らないのだろうな。ありえないことか。。。

いじめるのがものすごく楽しい!いじめが一番楽しいというのなら、なおさら、その子は自分の選択権を理解していないといえるとおもう。いじめ以外ないと思っているのだから。というかイジメと思っていないことすらある。まあ、いじめでもそうでなくてもどっちでもいいが、その子にとっての正義感からもイジメといわれるあるいは言われてしまう行為は存在するので、それを「いけないことだ!」といわれたら、いじめてた子は困るだろうな。。。年輩の大人の人(60歳以上の人)から未だに聞かされるのだが、子どもはバシバシ!やらないと絶対わからないと言う。「体罰?躾だ!」という人も沢山居るようだ。バシバシできなければしつけられないと思うのと、そう変わらない精神状態だと思うこともある。。。バシバシしたらいかん?じゃあどうすればいいんだ?ってことになる。
それと同じ。
"イジメ"をする者の心が満たされていないなら、また、"イジメ"をするだろう。そういうことも多々ある様に思う。

"イジメ"をしなくても大丈夫という余裕を"イジメ"をする子に大人は与えているだろうか?
卑劣だとレッテルをはるだけでなく、具体的に多数、その他の行為としての具体例など選択肢があることをまず示したい。
情報として、届くように、まず、イジメといわれてしまってもその気持ちは、きちんと認めてあげたいものだ。レッテルを貼らず(なかなかむずかしいのだけど)。

いじめてると思わない。
いじめられている。
まあ、いじめられたと感じたらいじめだしね。

どちらにしても、お互いの心が通じていない状況で物事が進んでしまうようだ。

まずは、大人が選択権を使えるように、与えあえるようになりたいものだね。
卑怯で、卑劣ということにしてしまっても、戦争がなくせないのと同じだ。
武器商人も含めて戦争しなくてもみんな万々歳!やっていける!っていう感じが一番心が通じ合えて理想だと自分は思う。

え?そんなまどろっこしいことはどうでもいいって?!

やっぱり、そんな時代なのかな?

いや、確かにあっしの書き方がまどろっこしいのだが。。
まあ、本意を理解してもまどろっこしさはある。
のだけど、
まずは、そういうまどろこしいことに取り組む"余裕のない自分"に気づいて、認めないとなあと思った。
まずはそこからだ。