12年

GOGOMOON2007-01-17

12年ってもまだ、この間のようだ。おっさんだなこりゃ。

あの日、丁度、生検をしていた。
早朝、ぐらぐらに気づきながらも、事の次第をしらずに
病院に行き、待合いでテレビに食い入る人たちを横目で見ながら
生検の結果がどうなるかを考えながら会計をして帰っていった。
途中Fに寄って、何が起こったのか初めて知った。

あの日、多くのヒトがすべてを失って、再び、一から歩まざるを得ない状況になって、大変なのだけど、その後の生き方そのものにはとても励まされたりした。
*1
自分もあの日を境に、それまでとはだいぶ違った生活になってしまった。生検結果がでてから以降、めんどうで、重たそうなもんをかかえこんだと思った。でも、なんとか背負ったり引っ張ったりしながらでもやってかないとしかたがないと思った。その後、病は大丈夫になったが、それ以前の、同様の生き方はなぜかどうしてもできなかった。それがかえって、自分を窮地に追いやったり、辛い思いにもなったりした。そういう時期もあった。
知ったのは、結局、状況がどうあれうそは付けないということ。自分の中は変わらないのだ。継続して、あのときの思いを背負って生きているように思う。まったく自分の中に変わることなく、自分もあの日以降の経験で何かを知ったり感じたりして、「まだ、やることがある」と、「納得できないことがある」とずっと思っていた。それがず〜〜〜〜〜っと続いているのを何処かで隠し、それを認めていなかったのだ。そう気づきやっと、何かつっかえがとれて、前に進めるようになる。
"どうしたらよいのかわからない"という思いは"どうしたらいいかわからない"こととして放ってはおけないのだ。蓋をしてもあふれ出すし、また、どこかでひずみも生まれるのだ。どうしたらいいかわからないけど、それは結局きになっていて何とかしたいこと、取り組みたいこと、つまり、自分がやりたいことにほかならない。自分のやりたいことはやはりやりたいのだ。蓋をしてもあふれ出るのだ。
今日は、今だ、その答えはわからないならわからないと自覚し、それらを強く感じる日であり、そういう自分を認める日でもあるのかなと思った。

*1:自分の学生時代の知り合い友人は皆大丈夫で、先輩は「大きな声では言えないが、こういう焚き火生活もこれはこれでおもしろい」といっていた。「ぐるっと回ったが、すごい。この状況は目に焼き付けるように見ておく方が良い」という友人もいた。そうした話を聞かされて驚くのが、皆とても冷静であるということだった。