どうなるかわからないことに対し見通しをもったり楽しんだり・・・ってことについて

こうなってもよさそうなのが、こんな風になったり、ああなったり、って経験はだれでもある。
ゴール、結果や結論からさかのぼって、今、こうする方が良いって予定を立てるのは割と簡単なのだけど
そこに不確定要素が沢山あると、結構、疲れてしまう。見通しらしい見通しが立てにくくなることもあるからだ。
天候など自然現象に左右され、どっちにころぶかわからず、それぞれの対応などもあれこれ考えていると
こめかみ辺りがうずうずしてきたりする。自分は、結構、不安になる方なのだ。
これは、方向音痴の経験が結構影響してるとおもう。「彷徨ってしまう。」のが、不安で、もどかしいのだ。
迷子になると「道がわからなければ、目的地にたどりつけないじゃないか!」と、私は思う。
それが影響し、迷子以外でも、迷子と同じ感覚で"わからないまま動き続けるとき"は、結構イライラする。
対処方法がわからなくなれば、途方に暮れる。そして、焦る。
ただ、これは、どのような結果をどのようなスケジュールによってしなければならないっていう
時間制限があればの話。
ここから、時間という縛りや"どのような結果"って縛りがなくなれば、全然違う。
子どもの頃のように、思う存分自分勝手に、すきなだけ、彷徨って、
ぶらぶらすること自体を目的にできたりする。
で、ほんとうは、こうやって生きたくて、がんばってるはずなのだけど!
っておもうと笑えてくる。
また、時間や何か制限があるとしても、それ以外の"決まっていない部分"で世界が成り立っていたり
それによって補ってくれたり助けてくれることがあることを忘れていたと思い出す。

決まっていないって事がないと本当につまらないなあと本当は思っているのだ。皆。

決まってないって事を生きられる、自分はそこを活かせる、活かしたいって事を忘れたり
そんな能力ないって思ってしまっていると辛くなるんだろうなあと勝手に思った。

それを思い出すと、
"迷子と同じ感覚で、どうしたらいいかわからず動き続ける"っていう状況を
別の捉え方をしていて、
たとえば、「新しいものを探しているからあたりまえ」ぐらいに思っていたりするから
やっぱり、ガチガチに決めすぎるのは力が発揮できなくて良くないってことだね。
(そうもいってられない状況ももちろんあるのだけど。)