アメリカインデアンの教え 再考

GOGOMOON2006-02-26


有名なのだけど引用する。

「子供たちはこうして生きかたを学びます」

批判ばかり受けて育った子は非難ばかりします                      
敵意に満ちたなかで育った子はだれとでも戦います                      
ひやかしを受けて育った子ははにかみ屋になります                   
ねたみを受けて育った子はいつも悪いことをしているような気持ちになります                   
心が寛大な人のなかで育った子はがまん強くなります                  
はげましを受けて育った子は自信をもちます
ほめられる中で育った子はいつも感謝することを知ります                     
公明正大な中で育った子は正義心を持ちます                 
思いやりのある中で育った子は信仰心を持ちます                  
人に認めてもらえる中で育った子は自分を大事にします
仲間の愛の中で育った子は世界に愛を見つけます
 
 作:Dorothy Law Nolth 訳:吉永宏
  「アメリカインディアンの教え」著者:加藤諦三 扶桑社文庫 より引用

これらを理解でき支持できるのは、その人にそうした経験があるからで、上記の"負"と思われる経験もその対極にあるものを理解する上で役立っているはずだ。それどころか、負といわれる経験を認識できるというのは、その人にその"負"と対極の思いがもともと失われずにあると言える。
「いやいや、そんな"正"の体験がない!」と思ったとしても、"そんな"ってところを想像出来ること自体、あなたにそういう内面の豊かさがあるということだ。

批判ばかり受けて育っても非難せず、敵意に満ちた中で育ってもだれとでも戦わず、冷やかしを受けて育って冗談を理解し、ねたみを受けて育っても自分を責めず、心が寛大な人の中で育たなくても無理に我慢せず強く、励まされずとも自信を持ち、ほめられずとも感謝することを知り、不正だらけでも正義心ばかり求めず、思いやりがなくとも信頼する心を持ち、人に認められずとも自分を大事にして仲間の愛の中で育たずとも世界に愛を見つけられるように子どもを育てようとするのはとても大変だが、それでも、それは不可能ではなくってところが、本当のところなのだろうなあと思った。それは否定すべきでないという感じだ。実際そうだし。
そのためには、反省だけではなく、親自身が自分を受け入れる必要がある。というか、本当は、気づくだけのことだよね。下手な反省は、かえって気づきを減らせるし自信を失わせる。反省ばかりしてこだわりから抜け出せないこともある。いくつになっても、気づきながら進むのが生きる醍醐味だ。