戦争の夢をみた

夜に昔の戦闘機が何百機と上空でバンバンやっている。バンバン外国人、特にアメリカ人が落ちてきて、それをどうするか?という話になる。戦争前のノーマルな感覚でいる人と戦争モードのヒトで意見が分かれる。あれこれ、やりとりがあって、結局戦争モードを採用。アメリカ人の末路にひどく、ショックをうけるも、戦争モードのヒトへの理解が、ノーマルモードのヒトにもあり、それをみて、戦時下なのだと思う。いつ死ぬかわからぬという世界におかれ、そこで過ごすことで、ある人は神をみて、ある人は悪魔をみることになる。(でも、戦争中の何時死ぬかわからないという感覚は、恐怖からヒトを殺して、生き残ることを考えている。当たり前ではない。作為だ。)

それで、夢の後、

いったい、いつから、いつ死ぬかわからないという世界が終わったのだろうか?とも思ったりした。何時死んでしまうかというのは、平均ではでていて、「きっと、あとおれは30年」「あと、50年」とか思いがちだけど、それは、あくまで、平均値であって、自分個人については、ほんとは、まったくわからない。
高度成長期、病院で死を迎えるということが日常になってしまって、死が遠くになってしまったり、死を厄介におもうようになったのかな。それなら明らかに錯覚だよな。
死を見届けられる、それも、その瞬間を見届けられるという経験が、生きることに繋がることを知ってるヒトが少ないのか?いや、多いはずだ。いかせない人が多いのかな。たしかに、ふと、忘れてしまうこともある。見えないのだけど、忘れてはいけない。
平均値からはずれる生き方を考えられないのは、つまらないね。頭も固くなる。